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たまにつけている日記です.
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  • (2005年2月9日)A代表戦初観戦
  • (2005年1月1日)都心での元日の過ごし方
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    2005年3月30日 恐るべし浦和


     埼玉スタジアム2002(さいたま市緑区)にて,2006FIFAワールドカップドイツ大会・アジア地区最終予選, 日本代表対バーレーン代表戦を観戦した. 今回,中田英寿(伊:フィオレンティーナ),稲本潤一(英:カーディフ)のプレーを生で初めて観ることができた. ヒデは連携ミスなど精彩を欠いてたように見えたし,稲本は後半ロスタイムのわずか1分強位のプレーで不完全燃焼気味. 試合内容も,お寒い内容だった. かろうじて,バーレーンのオウンゴールで勝ったが,ジーコジャパン本当に大丈夫なのだろうか. 朝鮮民主主義人民共和国戦の後半ロスタイムぎりぎりでの大黒(G大阪)の決勝ゴール,今回のオウンゴールがなかったら, 今頃,1敗2分で勝ち点2. 考えるだけでも,ジーコジャパンは強運だなと感じた. トルシエジャパンだと,おそらく圧勝していると思う. 懐かしきフラットスリー. 個人的にはトルシエジャパンの方が好きだった.

    さて,私はここのスタジアムに行く時は,埼玉高速鉄道・浦和御園駅を利用するわけだが, スタジアムへの行きは,浦和御園駅からのシャトルバスに乗ってスタジアムまで行く. そして,スタジアムからの帰りは,シャトルバスがでないので浦和御園駅まで歩いて行く. いつも,なんとなく人ごみの行く方向に向かって無事浦和美園駅までつくわけだが, 今日は,人ごみについていったら,どんどんと田んぼや細い道に入っていく. とりあえず,浦和御園駅方向ではないなと思ったが,これだけの人が向かってるから, JR東浦和駅か東武線北越谷駅のどちらかに向かってるのだなと思い,そこから帰ることにした. しかし,行けば行くほど,人の数が減っていき,ますます暗闇の中に入っていった. 自転車やバイクが後ろから私を追い越していく. そして駐車場がいっぱいあって皆が車に乗っていく. そうだ,ここは浦和だ.
    あの日が脳裏に蘇る. さすが,さいたま市民. サッカーに対する情熱を改めて実感した. 私は,再びスタジアムに戻って,ガードマンに浦和御園駅までの道のりを聞いてようやく帰路につくことができた.






    2005年3月19日 オープン戦その3


     明治神宮野球場(東京都新宿区)に,ヤクルト対福岡ソフトバンクのオープン戦を行った. 今日の目当ては,もちろん福岡ソフトバンクの斉藤和巳投手. 予定では,今日がシーズン開幕投手に向けての最終登板となる. ブルペンの一番前の投手の目の前の席を確保したので,お目当ても和巳の試合開始直前の投球練習を目の前1メートルの距離で観ることができた. もちろん和巳の生声も聞こえる. 投球を終えて,和巳が「(ボールが)抜ける.」といっていた. その後,尾花ピッチングコーチと斉藤ブルペンコーチと何やら会話をしてそのまま,消えていった. その後,グーリン(ソ)が急遽投球練習を始めた. 最初は,「ん?どうしたのかな・・.」くらいにしか気にならなかったが, 1回の表のソフトバンクの攻撃が終わり,裏のヤクルトの攻撃が始まる前に, ブルペンにグーリンと尾花コーチ,斉藤コーチ,塁審が集まり, 「何だ?」と思っていると, 「福岡ソフトバンクのピッチャー,斉藤和巳に代わりまして,ピッチャー,グーリン.」というアナウンスがあった. ブルペンで肩に違和感を感じた模様. 結局,和巳は神宮のマウンドで1球も投げなかった. 1週間後の開幕投手に黄信号がともった. 1週間後の福岡ヤフードームでの開幕戦のマウンドに立つのは誰になるのだろう. 和巳か?新垣(ソ)か?それとも,和田(ソ)か?

    試合結果は,8対3でソフトバンクが勝った模様. 私は,和巳が登板しなかったことと,ブルペンの前で,杉内(ソ),松(ソ),斉藤和巳(ソ),グーリン(ソ), 竹岡(ソ),宮地(ソ)・・笑,フェリシアーノ(ソ),山田(ソ),吉武(ソ),三瀬(ソ)の投球練習やフォーム,ボールの回転ばかり観ていたので, 試合はほとんど観ていなかった. 内野自由席2500円したが,でも1〜2メートルの超至近距離でソフトバンクの投手陣,また,城島(ソ)等の野手陣を観ることがでたので大満足だった. ちなみに,ネットごしに,バティスタ(ソ),ズレータ(ソ)と英語で会話し,握手をしていただいた.

       





    2005年3月18日 オープン戦その2


     東京ドーム(東京都文京区)に,北海道日本ハム対福岡ソフトバンクのオープン戦を観戦しに行った. 試合結果は9対5で福岡ソフトバンクの勝ち. 今日は東京ドーム大花火大会. 飛ばないボールもなんのその. せまい東京ドームで両チーム計6本の本塁打が飛び出した. カブレラ(ソ),バティスタ(ソ),セギノール(日),小笠原(日),松中(ソ),本間(ソ)の計6発. 中でもセギノール(日)の150メートル級の特大本塁打は圧巻だった. 今日の注目選手は,まずソフトバンクの新垣投手. ソフトバンクの開幕投手候補を斉藤和巳(ソ)と和田(ソ)で争っている. しかし,おそらく最後の今日の調整登板で,5回を8被安打4四死球5失点のいまいちの投球内容であった. 明日,神宮で斉藤和巳(ソ)がまずまずの調整登板ができれば,斉藤和巳(ソ)の3年連続開幕投手は確定か・・・. 次に日本ハムの注目は實松捕手. 正捕手である高橋信二(日)が怪我の中,今日は先発フルイニング出場で,打撃で大活躍. 今日の實松(日)は,3打数3安打2打点と絶好調. リード面では信二よりも上をいっているので,打撃さえ良くなれば,信二を脅かす存在に確実になるであろう. もう一度,實松旋風を起こしてほしい. 今年は日本ハムの捕手陣から目が離せない.




    2005年3月17日 オープン戦その1


     東京ドーム(東京都文京区)に,北海道日本ハム対西武のオープン戦を観戦しに行った. 試合結果は4対4の引き分け. 東京ドーム内が昨年までと比べていろいろと変化していた.






    2005年2月9日 A代表戦初観戦


     埼玉スタジアム2002(さいたま市緑区)にて,2006FIFAワールドカップドイツ大会・アジア地区最終予選, 日本代表対朝鮮民主主義人民共和国代表戦を観戦した. 私にとって,A代表(フル代表)のサッカー観戦は,今回が初めてだった. 日本代表サポーターの雰囲気は,最高だった. 試合は,小笠原(鹿島)の直接フリーキックからの先制ゴール,後半ロスタイムでの大黒(G大阪)の起死回生,決勝代表初ゴールと,素晴らしい見せ場があった. やはり,スタジアムで味わうロスタイムでの決勝ゴールは最高だ. 見ず知らずの前のお兄さんや隣のおじさんと一緒に大騒ぎした.






    2005年1月1日 都心での元日の過ごし方


     今年の年明けは,国立代々木競技場第一体育館(東京都渋谷区)での浜崎あゆみの「カウントダウンライブ2004〜2005」で迎えた. もちろん,すぐとなりにあるNHKホールで紅白歌合戦をやっている最中にライブは始まった. ライブは深夜1時過ぎまで続いたが,学生時代によく聴いていた”あゆ”の曲を何曲か生で聴くことができ,当時の懐かしい想い出が蘇った. 私にとって,カウントダウンライブは,00〜01年の兵庫県姫路市主催の年越しイベントでのゴスペラーズのカウントダウンライブ以来であった. こういう,新年の迎え方もたまには良い. 代々木競技場は自宅から電車で一駅でいけるから,気楽に”あゆ”のカウントライブに行けるのも都心に住んでるからこそ成せる技か・・.

     午後は,国立霞ヶ丘競技場(東京都新宿区)で,第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝・ジュビロ磐田対東京ヴェルディ1969を観戦した. 一度は生で観戦したかった元日のサッカー天皇杯決勝をとうとう今年,生で観ることができた. サッカー観戦からしばらく遠ざかっているが,最近の選手は正直言って良くしらない. サッカーはプロ野球と違って,移籍が頻繁に行われるので,たまにテレビやスタジアムで観戦していると,「あの選手は今このチームにいたのか・・」ということが良くある. しかし,ジュビロ磐田は,私がサッカーを良く観ていた頃のメンバーと半数以上変わらず,服部,福西,名波,藤田,中山”隊長”,といった懐かしのメンバーのプレーを今回初めて観ることができた. 試合結果は,2対1で東京ヴェルディが勝ち,8年振りに優勝した. ジュビロ磐田のイレブンの半数以上が昔と変わっていない. つまり,世代交代ができていないというところが,最近のジュビロ磐田の低迷に繋がっているような気がする. 同じく,国立競技場は自宅から電車で三駅でいけるから,気楽に天皇杯決勝を観に行けるのも都心に住んでるからこそ成せる技か・・.



     ジュビロ磐田といえば,94年,Jリーグ2年目の年,私が高校生の時に,サンフレッチェ広島がJリーグ第1ステージ優勝を果たした試合の対戦相手が,その年にJFL(当時)からJリーグに昇格したばかりのジュビロ磐田だったことを鮮明に憶えている. もちろん,その試合はテレビで観戦していた. 年は忘れたが,私が広島大学の学部生だった時に,同じく天皇杯のトーナメントで,ジュビロ磐田と広島大学が対戦して,母校は大敗はしたが,当時Jリーグで常勝だったジュビロ磐田から,1点を奪取したことも鮮明に憶えている.


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